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大阪高等裁判所 昭和41年(ネ)1974号 判決

一審原告(第一九七三号被控訴人・第一九七四号控訴人、以下同じ) 伊田千代子

一審原告(第一九七三号被控訴人・第一九七四号控訴人、以下同じ) 犬伏貞子

右両名訴訟代理人弁護士 難波貞夫

一審被告(第一九七三号控訴人・第一九七四号被控訴人、以下同じ) 小西敏裕

右訴訟代理人弁護士 下山量平

右訴訟復代理人弁護士 安平和彦

主文

一審被告は一審原告らに対し、それぞれ金五九九万五、八二三円およびこれに対する昭和四九年四月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

一審原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを八分し、その三を一審被告の負担とし、その余を一審原告らの負担とする。

この判決は、一審原告らの勝訴の部分にかぎり、仮に執行することができる。

事実

一審原告ら代理人は、当審において、訴えの交換的変更をしたうえ、「一審被告は一審原告らに対し、それぞれ金一、六〇〇万円およびこれに対する昭和四九年四月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも一審被告の負担とする。」との判決と仮執行の宣言を求め、一審被告代理人は、訴えの変更後の請求について、「一審原告らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも一審原告らの負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張および証拠の関係は、左記に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決二枚目表一〇行目、同三枚目表二行目および同八行目に各「別紙目録(二)記載の各土地」とあるをいずれも「別紙目録一ないし五記載の各土地」と改め、同三枚目表終から二行目より同裏一行目までおよび同三枚目裏七行目から末行目までをいずれも削除し、原判決添付別紙目録(一)(二)をいずれも削除する。)。

(一審原告らの主張)

一、訴えの交換的変更をした請求原因は次のとおりである。すなわち、

(一)  一審原告らと一審被告の実父亡小西定平は、昭和三二年一二月七日死亡したが、その相続人は、右三名のほか、亡小西定平の長男亡小西薫の代襲者である訴外小西巌雄、孝夫の五名であり、一審原告らの法定相続分はいずれも四分の一である(原判決二枚目表六行目から九行目まで)。

(二)  被相続人である亡小西定平が死亡の時(相続開始の時)に有した財産は、別紙目録一ないし五記載の各土地以外にはなかったところ、亡小西定平が別紙目録一ないし五記載の各土地を適式の遺言公正証書により一審被告に遺贈した結果(原判決二枚目表終りから二行目より同裏九行目まで)、一審原告らの遺留分(それぞれ六分の一)が侵害されたので、一審原告らは一審被告に対し、昭和三三年七月一八日、遺留分減殺の意思表示をした。

(三)  その結果、別紙目録一ないし五記載の各土地について、亡小西定平から一審被告に対してなされた遺贈は、一審原告らの有する遺留分(それぞれ六分の一)の範囲内において失効したものというべく、一審原告らは、別紙目録一ないし五記載の各土地について、それぞれ六分の一の共有持分権を有するに至った。

(四)  しかるに一審被告は、昭和三九年八月六日、別紙目録一ないし五記載の各土地について、昭和三二年一二月七日付遺贈を原因として、一審被告に単独所有権移転登記手続を完了したうえ(原判決三枚目表四行目から一一行目まで)、一審原告らが一審被告に対し、別紙目録一ないし五記載の各土地についてそれぞれ六分の一の共有持分権を有するところから、その共有持分権の存在確認と持分の移転登記手続を求めて争っていたにもかかわらず、昭和四二年一二月二三日、別紙目録一、二記載の各土地を訴外楊秋冬、同耀哲に代金一億二、〇〇〇万円で売却し、同月二六日その所有権移転登記を経由した。したがって、一審原告らは一審被告に対し、別紙目録一、二記載の各土地について、民法一〇四〇条一項本文に基づいて、その価額の弁償をなすべきことを求める。仮に民法一〇四〇条一項本文に基づく価額弁償の請求が認められないときは、一審被告は、故意またはすくなくとも過失により、別紙目録一、二記載の各土地を訴外楊秋冬、同耀哲に売却して登記を経由し、一審原告らの別紙目録一、二記載の各土地に対する共有持分権を喪失せしめたものであるから、一審原告らは一審被告に対し、不法行為を理由として、その損害を賠償すべきことを求める。また、一審原告らは、別紙目録三ないし五記載の各土地について、それぞれ六分の一の共有持分権を有するところから、一審被告に対し、その共有持分権の存在確認と持分の移転登記手続を求めていたところ、一審被告は、昭和四八年五月一八日の当審口頭弁論期日において、民法一〇四一条一項に基づいて、その価額の弁償を選択したから、一審原告らは一審被告に対し、民法一〇四一条に基づいて、その価額の弁償をなすべきことを求める。ところで亡小西定平の死亡した昭和三二年一二月七日当時(相続開始時)における別紙目録一ないし五記載の各土地の状態としては、別紙図面のとおり、別紙目録一、二記載の各土地には、A部分に亡小西定平所有の木造ルーヒング葺平家建店舗七坪九一、B部分に一審被告が亡小西定平に無断で建築した木造瓦葺二階建店舗兼居宅一階一七坪〇二、二階一五坪七四、D部分に亡小西定平所有の木造トタン葺平家建事務所兼居宅約五坪(ただし、別紙目録一、二記載の各土地に対する占有部分は約二坪)があり、別紙目録三、四記載の各土地には、C部分に亡小西定平所有の木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建店舗五坪四〇(訴外米光正雄に賃貸)があったが、右以外は空地であって、しかも亡小西定平所有のA、C、D部分の各建物はすべて朽廃寸前の状態にあったものである。したがって、別紙目録一ないし五記載の各土地の価額は更地価額によるべきところ、別紙目録一、二記載の各土地の当審口頭弁論終結時における更地価額は金一億一、五七七万七、〇〇〇円を下らないのであって、その六分の一に相当する金一、九二九万六、〇〇〇円が、それぞれ一審被告において一審原告らに対し、民法一〇四〇条一項本文に基づいて、弁償すべき価額であり、また、不法行為を理由として、賠償すべき損害額というべきであるから、一審被告は一審原告らに対し、それぞれ金一、九二九万六、〇〇〇円をおそくとも当審口頭弁論終結時である昭和四九年四月一八日までには支払うべき義務がある。また、別紙目録三ないし五記載の各土地の当審口頭弁論終結時における更地価額は金一、三五五万九、〇〇〇円を下らないのであって、その六分の一に相当する金二二五万九、〇〇〇円が、それぞれ一審被告において一審原告らに対し、民法一〇四一条に基づいて弁償すべき価額であるから、一審被告は一審原告らに対し、それぞれ金二二五万九、〇〇〇円を当審口頭弁論終結時である昭和四九年四月一八日までに支払うべき義務がある。

(五)  よって、一審原告らは一審被告に対し、それぞれ前記金一、九二九万六、〇〇〇円と前記金二二五万九、〇〇〇円の合計額金二、一五五万五、〇〇〇円のうち金一、六〇〇万円とこれに対する昭和四九年四月一八日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、一審原告らが遺留分減殺請求の意思表示を撤回したとの一審被告の主張事実は否認する。

三、一審被告は、民法一〇四〇条一項本文および同法一〇四一条一項に従って弁償されるべき価額は、民法一〇二九条および同法一〇四四条が準用する同法九〇四条の各規定により、減殺を受ける範囲内での、目的物の相続開始時における取引価額によるべきである旨主張するが、民法一〇二九条および同法一〇四四条が準用する同法九〇四条の各規定は、民法一〇四〇条一項本文および同法一〇四一条一項に従って弁償されるべき価額を、その目的物の相続開始時における取引価額によるべきことまでも規定したものではない。民法一〇四〇条一項本文および同法一〇四一条一項に従って弁償されるべき価額は、具体的に弁償されるべきとき、すなわち口頭弁論終結時における取引価額によるべきである。

(一審被告の主張)

一、訴えの交換的変更をした請求原因(一)の事実(原判決二枚目六行目から九行目まで)は認める。同(二)の事実中、被相続人である亡小西定平が死亡の時(相続開始の時)に有した財産は別紙目録一ないし五記載の各土地以外にはなかったこと、および、亡小西定平が別紙目録一ないし五記載の各土地を適式の遺言公正証書により一審被告に遺贈したこと(原判決二枚目表終りから二行目より同裏九行目まで)は認めるが、その余の事実は否認する。一審原告らの遺留分はそれぞれ六分の一ではなく、それぞれ八分の一である。同(三)の事実は争う。同(四)の事実中、一審被告が、昭和三九年八月六日、別紙目録一ないし五記載の各土地について、一審原告ら主張のような一審被告の単独所有権移転登記手続を完了したうえ(原判決三枚目表四行目から一一行目まで)、昭和四二年一二月二三日、別紙目録一、二記載の各土地を訴外楊秋冬、同耀哲に売却し、同月二六日その所有権移転登記を経由したこと、別紙目録三ないし五記載の各土地について、一審被告が、昭和四八年五月一八日の当審口頭弁論期日において、民法一〇四一条一項に基づいて、目的物の返還にかえてその価額の弁償を選択したこと、亡小西定平の死亡した昭和三二年一二月七日当時(相続開始時)における別紙目録一ないし五記載の各土地の状態として、別紙図面のとおり、別紙目録一、二記載の各土地には、A部分に木造ルーヒング葺平家建店舗七坪九一、B部分に木造瓦葺二階建店舗兼居宅一階一七坪〇二、二階一五坪七四、D部分に木造ルーヒング葺平家建事務所兼居宅(ただし、その建坪は七坪一四であって、別紙目録一、二記載の各土地に対する占有部分は約四坪である)があり、別紙目録三、四記載の各土地には、C部分に木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建店舗五坪五〇(訴外米光正雄に賃貸)があったことは認めるが、その余の事実は否認する。一審被告は訴外楊秋冬、同耀哲に対し、別紙目録一、二記載の各土地をその地上建物とともに代金合計金四、〇〇〇万円(土地が金三、七〇〇万円、建物が金三〇〇万円)で売却したものである。別紙図面のA部分、D部分、C部分に建築されていた右各建物はもと亡小西定平の所有であったが、昭和二七年三月、一審被告が亡小西定平から贈与を受けたものであり、B部分にある建物は、一審被告が昭和二八年一月亡小西定平からその許可を得て建築したものであって、亡小西定平死亡の当時、いずれも一審被告の所有に属するものであった。そして、一審被告は亡小西定平に対し、別紙目録一ないし四記載の各土地の使用料と生活費として、毎月金五万円および盆暮に金一〇万円ないし金二〇万円を支払っていたから、一審被告は亡小西定平から別紙目録一ないし四記載の各土地を別紙図面A、B、C、D各部分の各建物所有を目的として賃貸借していたものであり、そうでないとしても、使用貸借していたものである。また、別紙目録五記載の土地は、亡小西定平死亡当時、その西側隣接地所有者である訴外岡村英昭が占有していた。したがって、別紙目録一ないし五記載の各土地の価額は、借地権価額を控除した底地価額によるべきであって、更地価額によるべきでない。

二、仮に一審原告らが遺留分減殺の意思表示をしたとしても、一審原告らは、昭和三三年九月ごろ、神戸家庭裁判所昭和三三年(家イ)第一二五号調停事件を取り下げて右減殺の意思表示を撤回したものである。

三、一審原告らは、民法一〇四〇条一項本文および同法一〇四一条一項に従って弁償されるべき価額は、具体的に弁償されるべきとき、すなわち、口頭弁論終結時における取引価額によるべきであるとして、別紙目録一ないし五記載の各土地の当審口頭弁論終結時における更地価額を基礎として、その価額の弁償を求めるのであるが、民法一〇四〇条一項本文および同法一〇四一条一項に従って弁償すべき価額は、民法一〇二九条および同法一〇四四条が準用する同法九〇四条の各規定により、減殺を受ける範囲での、目的物の相続開始時における取引価額によるべきである。

(証拠関係)≪省略≫

理由

一、一審原告らと一審被告の実父亡小西定平は、昭和三二年一二月七日死亡したが、その相続人は、右三名のほか、亡小西定平の長男亡小西薫の代襲者である訴外小西巌雄、孝夫の五名であり、一審原告らの法定相続分はいずれも四分の一であることは当事者間に争いがない。したがって、一審原告らの有する遺留分の割合額は、民法一〇二八条一号および同法一〇四四条が準用する同法九〇〇条四号により、それぞれ八分の一であることは明らかである。

二、被相続人である亡小西定平が死亡の時(相続開始時)に有した財産は別紙目録一ないし五記載の各土地以外にはなかったこと(一審原告らは、別紙目録一ないし五記載の各土地のほか、神戸市生田区加納町四丁目一の二三九宅地四五・二一平方メートル、右同所一の八宅地二八・四九平方メートル、右二筆の土地の仮換地生田神社I区2A街区八号の八宅地四九・六二平方メートルが、亡小西定平が死亡の時に有した財産であると主張していたが、当審における昭和四九年二月二八日の口頭弁論期日において、被相続人である亡小西定平が死亡の時に有していた財産は別紙目録一ないし五記載の各土地以外にはなかった旨主張し、一審被告もこれを認めた。なお、≪証拠省略≫によれば、右神戸市生田区加納町四丁目一の二三九および同所一の八の二筆の土地は、移転登記手続は済んではいないが、昭和三〇年六月一五日、亡小西定平が訴外寺内重吉に売渡しずみであることが認められるから、右二筆の土地が、被相続人である亡小西定平がその死亡の時に有していた財産に属しないことは明らかである。)、および亡小西定平が別紙目録一ないし五記載の各土地を適式の遺言公正証書により一審被告に遺贈したこと(原判決二枚目表終りから二行目より同裏九行目までの事実)はいずれも当事者間に争いがない。そして、≪証拠省略≫によれば、一審原告らは、被相続人である亡小西定平が、その生前、別紙目録一ないし五記載の各土地を一審被告に遺贈していたことを知らなかったところから、一審原告伊田千代子において、昭和三三年三月一七日、他の四名の相続人を相手方として、神戸家庭裁判所に遺産分割の調停を申し立てたこと(昭和三三年(家イ)第一二五号調停事件)、右調停事件の調停期日は、同年四月八日を初回として四、五回開かれた後、同年七月一八日の調停期日が開かれたのであるが、その間の調停期日において、亡小西定平の有する財産は全部一審被告に遺贈する旨記載ある亡小西定平の遺言公正証書が、一審被告より一審原告らに呈示されたため、一審原告らは、そのときはじめて右遺贈の事実を知り、かつ、その際家事審判官の説明により、一審原告らの遺留分が侵害されている事実を知ったこと、一審原告らは、一審被告から右遺言公正証書が呈示された際、もしくは、おそくとも同年七月一八日の調停期日には、亡小西定平が一審被告に遺贈した別紙目録一ないし五記載の各土地について、一審原告らがそれぞれ六分の一の共有持分権を有するものとして、その分割を求めて、遺留分減殺請求権を行使したこと、その後、右調停事件は、分割方法についての合意が成立しないまま、一、二回調停期日が開かれたが、一審被告から一審原告らに対し、亡小西定平から遺贈を受けた別紙目録一ないし五記載の各土地について、良心的に善処したい旨の申入れがあったので、一審原告らは一審被告の右申入れを信じて、同年九月四日、一審原告伊田千代子において、右調停事件を取り下げたこと、以上のとおり認めることができる。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。したがって、一審原告らは、遺留分侵害の事実を知ったときから一年以内に遺留分減殺請求権を行使したものであって、一審被告主張の遺留分減殺請求権が時効消滅した旨の抗弁事実が採用できないことは当然である。また、一審被告は、一審原告らは、右調停事件を取り下げて右遺留分減殺請求権の行使を撤回した旨主張するけれども、一審原告伊田千代子が右調停事件を取り下げたのは、右認定のような事情によるものであるから、一審原告らが右遺留分減殺請求権の行使の意思表示を撤回したものとは到底認めがたい。

三、被相続人である亡小西定平が死亡の時(相続開始時)に有していた財産は別紙目録一ないし五記載の各土地以外にはなかったこと、亡小西定平が別紙目録一ないし五記載の各土地を適式な遺言公正証書により一審被告に遺贈したことは前記のとおりである。ところで一審被告は、一審原告らが被相続人である亡小西定平より婚姻の際、相当の贈与を受けているから、これは民法一〇四四条が準用する同法九〇三条の特別受益にあたると主張するけれども、当審における新たな証拠調べの結果を加えて検討しても、一審被告の右主張事実は採用できないものであって、この点についての当裁判所の判断は、原判決五枚目裏末行目から同六枚目表九行目までと同一であるから、これを引用する。そして、亡小西定平がその死亡の時他に債務(消極財産)を負担していたことについては、当事者双方とも何ら主張、立証するところがない。したがって、民法一〇二九条の遺留分算定の基礎となる財産は、別紙目録一ないし五記載の各土地であると確定すべきである。

四、そうすると、一審原告らが一審被告に対し、遺留分減殺請求権を行使したことにより、別紙目録一ないし五記載の各土地について、被相続人である亡小西定平から一審被告に対してなされた前記遺贈は、一審原告らの有する遺留分(それぞれ八分の一)の範囲において失効したものというべく、一審原告らは、別紙目録一ないし五記載の各土地について、それぞれ八分の一の共有持分権を有するに至ったものである。

五、一審被告が、昭和三九年八月六日、別紙目録一ないし五記載の各土地について、昭和三二年一二月七日付遺贈を登記原因として一審被告に単独所有権移転登記手続を完了したうえ(原判決三枚目表四行目から一一行目まで)、昭和四二年一二月二三日、別紙目録一、二記載の各土地を訴外楊秋冬、同耀哲に売却し、同月二六日その所有権移転登記を経由したことは当事者間に争いがない。

ところで一審原告らが、別紙目録一ないし五記載の各土地について、一審被告に対する遺留分減殺請求権の行使により、それぞれ六分の一の共有持分権を有するとして、原審および当審において、その共有持分権の存在確認と持分の移転登記手続を求めて、本件訴訟を維持して、争っていたのにもかかわらず、一審被告が、本件訴訟が当審に係属中、前記のように昭和四二年一二月二三日、別紙目録一、二記載の各土地を訴外楊秋冬、同耀哲に売却し、同月二六日、その所有権移転登記を経由したものであることは、本件訴訟の経過に照らして明らかである。したがって、一審被告は、故意またはすくなくとも過失により、別紙目録一、二記載の各土地を訴外楊秋冬、同耀哲に売却して登記を経由することにより、一審原告らの別紙目録一、二記載の各土地に対するそれぞれ八分の一の共有持分権を喪失せしめたものというべきであるから、一審被告は一審原告らに対し、不法行為を理由として、一審原告らの被った損害を賠償すべき義務がある。もっとも、一審原告らは、別紙目録一、二記載の各土地について、第一次的には、民法一〇四〇条一項本文に基づいて、その価額の弁償を求めるのであるが、民法一〇四〇条一項本文は、受贈者が贈与目的財産を他人に譲渡した後において遺留分権利者が減殺請求した場合に、受贈者への価額弁償請求を認めた規定であって、本件のように、遺贈目的財産が受遺者の所有にある間に、遺留分権利者が減殺請求して紛争中、受遺者がその遺贈目的財産を他人に譲渡して登記を了した場合にまでも、受遺者への価額弁償請求を認めた規定ではないと解すべきであるから(最高裁判所昭和三五年七月一九日判決、民集一四巻九号一七七九頁参照)、別紙目録一、二記載の各土地について、民法一〇四〇条一項本文の適用があることを前提とする一審原告らおよび一審被告の主張は採用できない。

別紙目録三ないし五記載の各土地については、一審原告らは、前記のように一審被告に対する遺留分減殺請求権の行使により、それぞれ六分の一の共有持分権を有するとして、原審および当審において、その共有持分権の存在確認と持分の移転登記を求めて、本件訴訟を維持して、争っていたところ、一審被告は、昭和四八年五月一八日の当審口頭弁論期日において、民法一〇四一条一項に基づいて、その価額弁償を選択したことは当事者間に争いのないところであるから、一審被告は一審原告らに対し、別紙目録三ないし五記載の各土地について、民法一〇四一条一項に基づいて、その価額の弁償をなすべき義務がある。

六、そこで、一審被告が一審原告らに対し、別紙目録一、二記載の各土地については、不法行為を理由として、その賠償すべき損害額を、別紙目録三ないし五記載の各土地については、民法一〇四一条一項に基づいて、その弁償すべき価額をそれぞれ算定すべきであるが、一審原告らは、別紙目録一、二記載の各土地について、不法行為を理由として、その賠償すべき損害額は、当審口頭弁論終結時における取引価額であると主張し、また、一審被告は、別紙目録三ないし五記載の各土地について、民法一〇四一条一項に基づいて、その弁償すべき価額は、相続開始時における取引価額によるべきである旨を主張する。しかし、別紙目録一、二記載の各土地について、不法行為を理由として、賠償すべき損害額は、当審口頭弁論終結時における取引価額によるべき特別の事情について、一審原告らにおいて、何らの主張、立証のない本件においては、不法行為一般の原則に照らし、不法行為当時(昭和四二年一二月二三日)の取引価額によるべきである。また、別紙目録三ないし五記載の各土地について、民法一〇四一条一項に基づいて、その弁償すべき価額は、公平の理念(戦後、土地の価額の高騰は当事者の予想しえたところであって、減殺請求の結果の財産回復が、現物によるものと価額によるものとの間に著しい差異のあることはきわめて不公平・不合理である)に照らし、相続開始時における取引価額によるべきではなく、弁償が現実になされるべきとき、すなわち、当審口頭弁論終結時における取引価額によるべきが相当である。一審被告は、民法一〇四一条一項に基づいて弁償されるべき価額は、民法一〇二九条および同法一〇四四条が準用する同法九〇四条の各規定により、目的物の相続開始時における取引価額によるべきである旨主張するが、民法一〇二九条および同法一〇四四条が準用する同法九〇四条の各規定は、遺留分を侵害している割合額を算定するに際して、相続開始時の遺産および遺贈財産・相続開始前の贈与財産を、相続開始時の評価に従って算定すべきことを定めたものであって、民法一〇四一条一項に従って弁償すべき価額を、その目的物の相続開始時における取引価額によるべきことまでも規定したものではないと解すべきである。

したがって、別紙目録一、二記載の各土地については、その昭和四二年一二月二三日当時における取引価額、別紙目録三ないし五記載の各土地については、その当審口頭弁論終結時(昭和四九年四月一八日)における取引価額を算定すべきであるが、別紙目録一、二記載各土地については、不法行為を理由とする損害賠償として、昭和四二年一二月二三日当時の取引価額を、別紙目録三ないし五記載の各土地については、民法一〇四一条一項に基づく価額弁償として、昭和四九年四月一八日当時の取引価額をそれぞれ算出しようとするものであって、一審被告が相続開始後右各土地に加えた利用状態の変化が右取引価額の決定に影響されるべきでないから、右各土地の相続開始当時における利用状態を基準として、別紙目録一、二記載の各土地については昭和四二年一二月二三日当時の、別紙目録三ないし五記載の各土地については昭和四九年四月一八日当時の取引価額を算定すべきである。

(一)  別紙目録一、二記載の各土地の昭和四二年一二月二三日当時における取引価額について

(1)  更地価額

別紙目録一、二記載の各土地の昭和四二年一二月二三日当時における更地価額は、当審鑑定人山本凱信の鑑定の結果によれば、一平方メートル当り金二〇万六、五五一円であるというのであり、当審鑑定人保田敞弘の鑑定の結果によれば、一平方メートル当り金一九万九、〇二〇円であるというのであるが、右両名の鑑定の結果を検討しても、そのいずれかを是として採用し、そのいずれかを非として排斥しなければならない性質のものではないから、その平均値である金二〇万二、七八五円をもってその一平方メートル当りの更地価額と定めるべく、したがって、別紙目録一、二記載の各土地の昭和四二年一二月二三日当時の更地価額は金四、三二六万四、一七九円となる(202,785円/m2×213.35(m2)=43,264,179円)。

(2)  減価額

別紙目録一、二記載の各土地は、亡小西定平が死亡した昭和三二年一二月七日当時(相続開始時)、別紙図面のとおり、A部分に木造ルーヒング葺平家建店舗七坪九一、B部分に木造瓦葺二階建店舗兼居宅一階一七坪〇二、二階一五坪七四、D部分に木造ルーヒング葺平家建事務所兼居宅(≪証拠省略≫によれば、その建坪は七坪一四であって、別紙目録一、二記載の各土地に対する占有部分は約四坪であることが認められる。)が存在していたことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、別紙図面のA部分の建物およびD部分の建物は被相続人である亡小西定平が建築したものであり、別紙図面のB部分の建物は一審被告が亡小西定平の了解を得て自己の資金をもって建築したものであって、右A、B、D部分の建物の敷地以外は空地のままの状態であったことが認められる、一審原告らは、B部分の建物は一審被告が亡小西定平に無断で建築した旨主張し、≪証拠省略≫中には、一審原告らの右主張事実に副うところがあるが、右証言および供述部分はいずれも採用できない。ところで一審被告は、別紙図面のA部分の建物およびD部分の建物は、昭和二七年三月、一審被告が亡小西定平から贈与を受けたものであり、別紙目録一、二記載の各土地は一審被告が亡小西定平から建物所有を目的として賃借した旨主張するが、一審被告の右主張事実に副う当審における一審被告本人尋問の結果(第一、二回)は、≪証拠省略≫に照らして、たやすく信用できないし、≪証拠省略≫によっても一審被告の右主張事実を認めることはできず、他に一審被告の右主張事実を認めるにたる証拠はない(一審原告らは、亡小西定平が死亡当時に有していた財産は別紙目録一ないし五記載の各土地以外にはない旨自認するのであるが、右は遺留分算定の基礎となる財産について、その争点を制限するためになされたものであって、別紙図面のAおよびD部分の各建物が亡小西定平の所有でなく、一審被告の所有であることまでを自認したものでないことは、弁論の全趣旨により明らかである。)。したがって、別紙目録一、二記載の各土地の相続開始当時における利用状態は、別紙図面のとおり、AおよびD部分に亡小西定平所有の前記各建物が、B部分に一審被告所有の前記建物が存在し、それ以外は空地であって、B部分の建物の敷地は、一審被告が亡小西定平から使用賃借したものであることが認められる。

ところで成立に争いのない甲第九号証(不動産鑑定士保田敞弘作成の鑑定評価書)によれば、別紙目録一、二記載の各土地の右認定の土地利用の態様に基づいて、その帰属敷地面積を割り出すと、別紙図面のB部分の一審被告所有の前記建物に帰属するとみられる面積は六一・六六平方メートル(7.50m×7.20m=61.66m2)であり、別紙図面のAおよびD部分の亡小西定平所有の前記各建物に帰属するとみられる面積は一五一・六九平方メートル(213.35m2-61.66m2=151.69m2)であること、そして、右AおよびD部分の各建物の帰属する敷地面積の更地価額に対する建付減価率は一パーセントをもって相当とすることが認められ、B部分の前記建物の帰属する敷地面積の使用貸借に基づく敷地利用権ある場合の土地価額(準底地価額)は、当審鑑定人保田敞弘の鑑定の結果(第一審被告申請分の鑑定評価書)によれば、その敷地面積の更地価額から借地権価額(借地権価額は、右鑑定人保田敞弘の鑑定の結果によれば、更地価額の六〇パーセントであるというのであり、当審鑑定人山本凱信の鑑定の結果によれば、更地価額の七〇パーセントであるというのであるが、右両名の鑑定の結果を検討しても、そのいずれか一方を採用して他を排斥すべき性質のものでないから、更地価額に対し、その平均値である六五パーセントを乗じて得た価額が借地権価額であると定める。なお、前記甲第九号証によれば、右鑑定人保田敞弘は、昭和四八年七月一日当時における別紙目録一、二記載の各土地に対する借地権価額は更地価額の七五パーセントであるとしており、成立に争いのない乙第六号証の一、二(大阪国税局管内納税協会連合会作成の路線価設定地域図)には、昭和四七年度における右各土地の借地権割合は更地価額に対する八〇パーセントであると記載されているが、いずれも昭和四二年一二月二三日当時における借地権価額を定めるについて決定的資料とはなり得ない。)の七〇パーセントを減価した価額であることが認められる。当審鑑定人山本凱信の鑑定の結果によれば、同鑑定人は、使用貸借に基づく敷地利用権ある場合の土地価額を算出する方法として、その敷地面積の更地価額に対する稼働投資率三八パーセントを乗じて得た価額をもってする方法を採用するが、一般に、いわゆる底地価額を算出する方法としては、更地価額から借地権価額を控除する方法が採用されているから、鑑定人山本凱信の右算出方法は採用しない。

(3)  時価額

以上により別紙目録一、二記載の各土地の昭和四二年一二月二三日当時における時価額を算出すると、別紙図面のA、D部分の各建物の帰属する土地部分の時価は金三、〇四五万二、八五二円(202,785円/m2×(1-0.01)×151.69(m2)=30,452,852円)であり、別紙図面のB部分の建物の帰属する土地部分の時価は、金六八一万四、五二八円(202,785円/m2×(1-0.65×0.7)×61.66(m2)=6,814,528円)であるから、合計金三、七二六万七、三八〇円である。

(二)  別紙目録三ないし五記載の各土地の昭和四九年四月一八日当時における取引価額について

(1)  更地価額

(イ) 別紙目録三、四記載の各土地の更地価額

前記甲第九号証(不動産鑑定士保田敞弘作成の鑑定評価書)によれば、別紙目録一、二記載の各土地の昭和四八年七月一日当時における更地価額は、一平方メートル当り金五八万四、八五〇円であって、別紙目録三、四記載の各土地の昭和四八年七月一日当時の一平方メートル当りの更地価額は、別紙目録一、二記載の各土地を標準地として比較すると、間口狭少と面積の狭あい等の点を勘案して、一〇パーセントの減価を相当とするものであって、その一平方メートル当りの昭和四八年七月一日当時の更地価額は金五二万六、三六五円(584,850円m2×(1-0.10)=526,365円/m2)であることが認められる。もっとも、当審鑑定人保田敞弘の鑑定の結果によれば、別紙目録三、四記載の各土地の昭和四六年一一月一日当時の一平方メートル当りの更地価額は、別紙目録一、二記載の各土地を標準地として比較すると、一パーセントの減価を相当とすると評価しているが、右は奥行逓減のみを考慮しているものであるから採用しない。また、当審鑑定人山本凱信の鑑定の結果によれば、同鑑定人は、昭和四六年六月二五日当時における別紙目録一、二記載の各土地の一平方メートル当りの更地価額と別紙目録三、四記載の各土地のそれとは同一価額であると鑑定しているが、同一価額に鑑定評価した根拠を明らかにしていないので、ただちに鑑定人保田敞弘の右評価方法を不当として、別紙目録三、四記載の各土地の一平方メートル当りの更地価額を別紙目録一、二記載の各土地のそれと同一に評価しなければならないものとすることはできない。そうすると別紙目録三、四記載の各土地の昭和四八年七月一日当時の更地価額は金一、三六九万六、〇一七円である(526,365円/m2×26.02(m2)=13,696,017円)。

(ロ) 別紙目録五記載の土地の更地価額

前記のとおり、別紙目録一、二記載の各土地の昭和四八年七月一日当時における更地価額は、一平方メートル当り金五八万四、八五〇円であるところ、当審鑑定人保田敞弘の鑑定の結果によれば、別紙目録五記載の土地の一平方メートル当りの更地価額は、別紙目録一、二記載の各土地を標準地として比較すると、別紙目録五記載の土地は単独利用不可能な画地であって、その土地の利用効率と間口狭少・奥行長大を考慮して、五〇パーセントの減価を相当とするものであるから、その一平方メートル当りの昭和四八年七月一日当時の更地価額は金二九万二、四二五円(584,850円/m2×(1-0.50)=292,425円/m2)であることが認められる。もっとも、当審鑑定人山本凱信の鑑定の結果によると、同鑑定人は、昭和四六年六月二五日当時における別紙目録一ないし四記載の各土地と別紙目録五記載の土地のそれぞれの一平方メートル当りの更地価額を評価するについて、比準価額と路線価額を確定して、これにより別紙目録一ないし四記載の各土地については金三二万二、二〇九円、別紙目録五記載の土地については金二八万四、四一八円と評価しているのであって、別紙目録五記載の土地の一平方メートル当りの更地価額が別紙目録一ないし四記載の各土地の一平方メートル当りの更地価額に対し、五〇パーセントの減価比率を示しているものでないことが明らかであるが、昭和四八年七月一日当時における別紙目録一ないし五記載の各土地の比準価額と路線価額が明らかでない本件においては、昭和四八年七月一日当時における別紙目録五記載の土地の更地価額を評価するについて、鑑定人山本凱信の右評価方法を採用することができないし、また、鑑定人山本凱信の右評価方法のみが唯一絶対のものとして、鑑定人保田敞弘の前記評価方法を排斥しなければならないものであるとは解されない。そうすると、別紙目録五記載の土地の昭和四八年七月一日当時の更地価額は金八三万三、四一一円(292,425円/m2×2.85(m2)=833,411円)である。

(2)  減価額

(イ) 別紙目録三、四記載の各土地の減価額

別紙目録三、四記載の各土地は、亡小西定平が死亡した昭和三二年一二月七日当時(相続開始時)、別紙図面のとおり、C部分に木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建店舗五坪五〇(訴外米光正雄に賃貸)が存在していたことは当事者間に争いがなく、当審における一審被告本人尋問の結果(第一、二回)によれば、別紙図面のC部分の建物は被相続人である亡小西定平が建築したものであって、これを訴外米光正雄に賃貸していたものであることが認められる。一審被告は、別紙図面のC部分の建物も、昭和二七年三月、一審被告が亡小西定平から贈与を受けたものである旨主張するが、≪証拠省略≫は、≪証拠省略≫に照らして、たやすく信用できないし、≪証拠省略≫によっても一審被告の右主張事実を認めることはできず、他に一審被告の右主張事実を認めるにたりる証拠はない。したがって、別紙目録三、四記載の各土地の相続開始当時の利用状態は、別紙図面のとおり、C部分に亡小西定平所有の前記建物があって、それ以外は空地であり、右建物は訴外米光正雄が亡小西定平から賃借していたものであることが認められる。

ところで当審鑑定人保田敞弘の鑑定の結果によると、賃貸の用に供された建物付土地については、建物の賃借人は借家権を取得し、その借家権の価額は、土地については、借地権価額の三〇パーセントであるとし、賃貸された建物付土地の敷地価額(底地価額)を評価するについては、更地価額から借地権価額の三〇パーセントを減価した価額であるとしていることが認められる。そして、右鑑定人保田敞弘は、昭和四六年一一月一日当時における借地権価額は更地価額の六〇パーセントであると評価しているけれども、前記甲第九号証によれば、同鑑定人は、昭和四八年七月一日当時における別紙目録三、四記載の各土地に対する借地権価額は更地価額の七五パーセントであるとしており、また、≪証拠省略≫には、昭和四七年度における右各土地の借地権割合は更地価額に対する八〇パーセントであると記載されているので、その平均値を割り出し、昭和四八年七月一日当時における右各土地の借地権価額は更地価額の七七・五パーセントと認める。

(ロ) 別紙目録五記載の土地の減価額

≪証拠省略≫によれば、別紙目録五記載の土地は、亡小西定平が死亡した昭和三二年一二月七日当時(相続開始時)、別紙図面のとおり、空地であって、その西側隣接地に居住する訴外岡村英昭が亡小西定平の承諾のもとに、敷地の一部として利用していることが認められる。

ところで、当審鑑定人保田敞弘の鑑定の結果によれば、正当権原に基づく占有権ある場合の土地価額を評価するについては、正当権原に基づく占有権の所有権に対する比率を賃借権に準じて、更地価額から借地権価額を減価した価額とすべきことが認められる。そして、昭和四八年七月一日当時における借地権価額は更地価額の七七・五パーセントと認めるべきことは前記認定のとおりである。

(3)  時価額

以上により別紙目録三、四記載の各土地の昭和四八年七月一日当時における時価額を算出すると、金一、〇五一万一、六九三円(13,696,017円×(1-0.775×0.30)=10,511,693円)となり、別紙目録五記載の土地の昭和四八年七月一日当時における時価額を算出すると金一八万七、五一七円(833,411円×(1-0.775)=187,517円)となる。そうすると、別紙目録三ないし五記載の各土地の当審口頭弁論終結時(昭和四九年四月一八日)における取引価額は、反証のないかぎり、右の合計額金一、〇六九万九、二一〇円と同額と認めるのが相当である。

七、そうすると、一審被告は一審原告らに対し、それぞれ、不法行為を理由として、金三、七二六万七、三八〇円の八分の一に相当する金四六五万八、四二二円、民法一〇四一条一項の規定に基づいて、金一、〇六九万九、二一〇円の八分の一に相当する金一三三万七、四〇一円、合計金五九九万五、八二三円と前者については不法行為のあった後であり、後者については民法一〇四一条一項の価額弁償を選択した後である昭和四九年四月一八日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をなすべき義務があるから、一審原告らの本訴請求は右の限度において正当として認容すべく、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条、九六条を、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(判事 阪井昱朗 宮地英雄 裁判長判事山内敏彦は転任のため署名捺印することができない。判事 阪井昱朗)

〈以下省略〉

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